「靴磨きの少年」の逸話はインデックス投資にも当てはまるのか|投資史から考える市場過熱のサイン

記事内にプロモーションを含む場合があります。

こんにちは!むーです。

投資の世界には、相場の過熱を示す象徴的なエピソードとして靴磨きの少年の逸話があります。一般には、誰もが株の話をし始めたときが天井だという教訓として語られてきました。
一方で、近年主流となっているインデックス投資は、長期・分散・低コストを前提とした手法であり、こうした逸話とは性質が異なるようにも見えます。

本記事では、靴磨きの少年の逸話が何を警告しているのかを整理した上で、投資史の具体例を交えながら、その教訓がインデックス投資にも当てはまりうるのかを考察します。

スポンサーリンク

「靴磨きの少年」の逸話とは

靴磨きの少年の逸話は、一般に1920年代の米国株式市場、いわゆる狂乱の20年代と結び付けて語られます。アメリカの政治家ジョセフ・P・ケネディが、靴磨きの少年から株の話を聞いたことをきっかけに市場の過熱を察知し、株式を売却したというエピソードです。

この逸話が象徴しているのは、特定の階層の人間が投資を始めたという事実そのものではありません。本質は、投資が「合理的な判断」から離れ、「誰もが儲かると信じて疑わない空気」に支配された局面への警告です。つまり、問題視されているのは市場参加者の属性ではなく、市場全体の期待形成のあり方です。

投資史から見た逸話の位置付け

この種の現象は、1929年の大恐慌に限らず、投資史の中で繰り返し確認できます。

例えば、1990年代後半のITバブルでは、インターネット関連企業であるという理由だけで株価が急騰しました。収益モデルが不明確な企業であっても、市場参加者は将来の成長を過度に織り込み、合理的な企業価値評価は後景に退きました。この時期も、株式投資が一種の社会現象として語られ、リスクへの言及は次第に薄れていきました。

2000年代半ばの米国住宅バブルも同様です。不動産価格は下がらないという前提が共有され、複雑な金融商品を通じてリスクが拡散されているとの過信が広がりました。結果として、前提が崩れた瞬間に市場は急激な調整を余儀なくされました。

これらの事例に共通するのは、「新しい仕組み」や「今回は違う」という語りが支配的になり、リスクが正面から議論されなくなった点です。靴磨きの少年の逸話は、こうした局面を象徴的に表現したものだと位置付けられます。

インデックス投資は逸話の射程外なのか

インデックス投資は、こうした投機的局面と対照的な投資手法として発展してきました。市場全体への分散投資、低コスト、長期保有を前提とする点で、短期的な値上がりを狙う行動とは性質が異なります。

実際、1970年代以降に提唱されたインデックス投資は、アクティブ運用の限界に対する理論的反省から生まれました。市場を出し抜くことの難しさを前提に、市場平均を受け入れるという考え方は、靴磨きの少年の逸話が警告する投機熱とは距離を置いたものだと言えます。

このため、インデックス投資の実践者が増えたという事実だけをもって、市場が過熱していると結論付けるのは適切ではないと感じます。制度改正や金融教育の普及により、長期の資産形成手段としてインデックス投資が選択されている可能性も十分に考えられます。

それでも当てはまりうる局面とは

一方で、インデックス投資が常に安全圏にあると考えるのも短絡的です。問題となるのは、インデックス投資がどのような理解のもとで語られているかです。

もし、過去の高いリターンのみが強調され、長期停滞や大幅下落といった歴史的事実が軽視されているのであれば、市場参加者の期待は過度に単純化されています。この状態では、インデックス投資もまた「考えなくても儲かる手法」として消費され、靴磨きの少年の逸話が示す状況に近づいていきます。

投資史を振り返れば、市場全体が長期間リターンを生まなかった局面も存在します。日本株の1989年高値以降の長期停滞は、その代表例です。インデックスであっても、時間軸や前提条件を誤れば、期待と現実の乖離は生じます

誰が投資するかではなく、何を前提に投資するか

ここで改めて強調すべきなのは、靴磨きの少年が投資の話をしていたかどうかではありません。重要なのは、投資行動がどのような前提と理解に基づいているかです。

リスクを認識し、長期的な不確実性を受け入れた上でのインデックス投資であれば、それは市場の健全性を損なうものではありません。逆に、立場や経験を問わず、短期的な成功体験や楽観的な物語だけに依拠した投資行動が広がるとき、市場は脆弱になります。

まとめ

靴磨きの少年の逸話を、インデックス投資そのものへの警鐘として解釈するのは妥当ではないと考えます。しかし、この逸話が内包する教訓、すなわち集団的な楽観と、前提の共有に対する警戒は、インデックス投資の文脈でも有効です。

投資手法が何であれ、思考停止が広がった瞬間にリスクは見えなくなります。インデックス投資が長期資産形成の有力な選択肢であることと、それが無条件に安全であることは同義ではありません。投資史を踏まえた視点こそが、この逸話を現代に生かす方法だと言えるでしょう。

スポンサーリンク

コメント

タイトルとURLをコピーしました